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オリエンタル (食品メーカー) : ミニ英和和英辞書
オリエンタル (食品メーカー)[かー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しょく]
 【名詞】 1. meal 2. (one's) diet 3. food 4. foodstuff(s) 
食品 : [しょくひん]
 【名詞】 1. commodity 2. foodstuff 
: [ひん]
 【名詞】 1. thing 2. article 3. goods 4. dignity 5. article (goods) 6. counter for meal courses 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car

オリエンタル (食品メーカー) : ウィキペディア日本語版
オリエンタル (食品メーカー)[かー]

株式会社オリエンタルは、カレー香辛料などの製造・販売を行っている日本食品メーカーである。本社は愛知県名古屋市にある。
== 概要 ==
1913年(大正2年)に名古屋市中区大須で、星野益一郎は兄である星野耕太郎らと共に、輸入食品商社の東洋食品(現・オリエンタルコーヒー商)を創業。大戦中までは、食品の販売を手掛けていた。
星野益一郎は終戦後、新たな事業を模索して、カレーが家庭料理に普及しつつある事に着目し、当時、カレーと言えば、炒めた小麦粉カレー粉を混ぜるなど大変手間が掛かる事から、「その手間を省き、調理を簡単に出来れば売れる」と考え、事前に炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のインスタントカレーであるオリエンタル即席カレーを完成させた。
その後、兄は「コーヒー」、弟は「カレー」と別々の道を歩む事と成り、星野益一郎は独立をする形で、1945年(昭和20年)に名古屋市中村区椿町で個人創業。後の1953年(昭和28年)に株式会社オリエンタルとして法人化した。
オリエンタルの由来は、自身の出身企業の頭文字である東洋を「東洋風の」カレーの意味合いも含めて英語読みにしたものである。因みに、出身の東洋食品は、1922年(大正11年)に東洋商会へ社名変更を経て、オリエンタルに遅れる事20年後の1965年(昭和40年)にオリエンタルコーヒー商と成り、コーヒー豆焙煎などの輸入食品商社と不動産業として現在に至る。
個人創業の頃は、妻と2人で作り上げたオリエンタル即席カレーリヤカーに積み、チンドン屋先導で売り歩く商法を取り、5皿分1個35円と高価(あんパンが、1個5円の時代)ながらも飛ぶように売れた。法人化後の1953年(昭和28年)からは、踊りや大道芸など様々な芸人宣伝カーに乗せ、興行とカレーの試食会を兼ねた斬新な宣伝活動で、オリエンタル坊やのキャラクターのスプーンや風船を配るなど、全国各地を巡り、テレビやラジオの提供(がっちり買いまショウなど)やCMソングなどの広告宣伝で知名度を上げ、1961年(昭和36年)に販売部門を分離した株式会社オリエンタル洋行を設立して、全国各地へ販売網を拡大。個人創業から工場化後も、職人による添加物が少ない自然なカレー作りに一貫してこだわり続け、1966年(昭和41年)に稲沢市へ工場移転後も受け継がれた。 
1962年(昭和37年)には、インスタントカレー第二弾である容器入りのチャツネを付けたオリエンタルマースカレーを発売。稲沢市の新工場のレトルト設備完成に伴い、1969年(昭和44年)にスナックカレーを発売。南利明出演のスナックカレーCMの「ハヤシもあるでよ~」の名古屋弁フレーズは当時流行に成った。1973年(昭和48年)に清涼飲料事業に進出。グァバドリンクや炭酸飲料などを各地のオリエンタル洋行を通じて主に自動販売機などで販売された。
1960年代に入り、利便性によるカレーの固形化が戦後間もない頃から各社で試みられた結果、当時ベル製造の板チョコ状のベルカレールゥが発売され、それを皮切りにライバル大手も追随して、やがて便利な固形ルゥが主流と成った。カレーの固形化には、牛脂などの高融点の硬化油を用いるなど健康上に問題に成った事もあり、オリエンタルは自然な食品に一貫して固形化を行わなかった姿勢から、やがて苦戦を強いられ、1970年代1990年代に掛けては、地元東海エリアを除き、全国的〔各地のスーパーでは、一時期カレーの販売縮小や休止した所も。当時のオリエンタル洋行各支店は、業務用卸と清涼飲料事業に特化していた。〕に縮小を余儀なくされた。
1990年代に入り、おもちゃコレクター北原照久にオリエンタル坊やグッズが取り上げられ、2000年には、同氏とオリエンタル坊やキャラクターとのコラボレーションが行われるなどのほか、かつての消費者がオリエンタルのカレーを懐かしむ声と再評価から、改めてカレー製品の全国販売が試みられ、東海エリア以外でも販売が再開されつつある。
近年はレトルトカレーなどの販売が主な事業となり、中日ドラゴンズマスコットのドアラカレーなどのご当地キャラクター、有名人とのコラボレーションや名古屋どてめしなど、地元ゆかりのレトルト商品や、男乃(おとこの)カレーなどの本格派のレトルトカレーも開発している。
その後の縮小により、2002年(平成14年)の清涼飲料事業から撤退(グァバを除く)に伴い、各地のオリエンタル洋行支店を閉鎖して本社に集約された。同事業は、翌年、アシードへ譲渡した。
2002年(平成14年)に外食業に進出。金沢に「ガネーシャ」を開店後、北陸の他、東海を中心にチェーン展開。後に台湾、香港などの海外にも進出するなど、新たな道を歩んでいる。
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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オリエンタル (食品メーカー)」の詳細全文を読む




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